2017年05月08日

本を作るという微熱─その1

ある哲学者は言う
「人生は旅であり、目的地ではない」と
ならば本作りについて言ってみたい。
「本作りは冒険であり、決して目的にしてはならない」
 本の編集者の立場からすると、自費出版をしたいと持ち込まれた原稿を読ませてもらううちに、ふとあることに気づく。
 本作りという人間としての原初的行為はまさしく、自分が生きた証しを残したいための引っ掻き傷ではなかろうか。研ぎすまされた爪あと、もしくは血文字に匹敵するかもしれない。
 この習性は他の動物には皆無に近い。
 あまたの原稿の山を前にして、自費出版を前提に持ち込まれる原稿ではあるけれど、ひょっとしたら売れるんとちゃうやろかと、持参者は夢を膨らませているのであるが、ほとんどは、うーむと唸ったあとに、長い沈黙を置くというパターンに終始するものであるけれど、中には、
「ひょっとしたらコレ、いけるんちゃうやろか」というのが混ざっていたりするから面白い。
 それは恐らく作者の内部より滲み出たる微熱が情熱の高みにまで昇華されていった作品に違いない。
 読む人が読めば大いなる眩暈とか、恍惚に導かれるはずのものだ。
 しかしながら編集者としては、おもむろにこう応えてしまうのである。
「伝わってくるものは十分にありますが、もう少し全体を推敲してもらわないと……。このままじゃ本にはなりませんね。誤字、脱字が多すぎます」
 ここで原稿持参者は落胆するところを、手慣れた編集者は付け加えることを怠らない。
「でもね、なかなか面白い着眼点がありますね。これはこれで十分に本としてのクオリティは担保されてますよ」
 両者が何が担保だか分からないうちに、物事は進行していくのでありますが、ここで大切なことは、作り手の微熱を消してはならないし、消されることが起きてはならないということであります。
 先の東日本大震災が起きた時のこと。ぼくが担当していた編集途中の本づくりが3冊あって、そのうちの2冊がキャンセルになった。
「世の中がこんな時に、本なんか作ってる場合とちゃうやろ。本なんか作ったかて、よう売れるかいな」ということであるらしい。ごもっともである。
 微熱がすっかり引いてしまうような外部要因が実際にあってそれは起こることなのである。事実は小説より奇なりです。
 
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2016年03月11日

手作り本ということ

 一般の消費者は、どんなものでも手作りの方がいいものだと思っている所がある。
 本作りにおいてはどうだろうか。本の中身、つまりその作品そのものは人間の脳細胞を使って想像力を働かせて生み出されるまぎれもなく手作りの世界である。その内容はともかく、人間の成せる行為における最高の手作りといえなくもない。
 ここで中身は別にして、完成した原稿を版下にして印刷機にかけたあとの本が出来るまでのハードの部分は手作りかといえば、今ではほとんどがそうではない。
 近年の印刷技術の進歩は凄まじい。オンデマンド印刷という方法を使えばパソコンのデータからいきなり製本された本になって出てくる。これは実際に見るとスゴイ!。この方法の欠点をあげるとすれば、ソフトカバーしかできない事ぐらいか(ハードカバーは従来通りの別行程仕上げとなる)。
 オンデマンド印刷とはパソコンのプリンターからのプリントだと思っていただければ間違いない。だから一冊からでも作れてしまうのである。ただしプリントしたものを、どうしてもハードカバーにしたい場合には丁合、製本などの関係から角背しかできない。一般的なハードカバーの丸背ができないのである。これはオンデマンド印刷のプリントがオフセット印刷のように面付けしてから印刷し、折り単位の製本方法ではなくペラ丁合からの製本になってしまうからである。この辺はちょっと専門的になるので、もし詳しく知りたい方がおられたらお問い合わせください。
 いずれにしても、このようにオンデマンド印刷でも微妙にできなかったりできたりするところがあって、オンデマンド印刷でやればどんな本でも作れるとも限らない。それに選べる用紙も限られている。
 100部以上で160ページ以上の場合はオフセット印刷の方がおすすめだ。
 手作りという場合、現在の本作りにおいてはハードカバーの製本作業にのみ当てはまる作業かもしれない、この部分はいまだに職人技の世界だ(但し部数が多い場合は専用の機械で自動処理している)。
 ただいえることは、文字を入力したり、校正したり、レイアウトを考えたり、色を決めたりするのは機械にはできない事である。この本作りの前行程の部分はこれからも手作りとなるだろう。そしてそこのところが本作りでもっとも重要な部分であるともいえる。
 出来上がった本に誤植があったり、全体のレイアウトがつまらなかったりすればいくら印刷代が安くても台無しになってしまう。だから少なくとも、定価を付けて売りたいと思っている場合は、編集ができる所を選ばないとクオリティの高い本を作る事はできない。いずれにしてもよく考えてから依頼する業者を選ばなければならない。
 オンデマンド印刷とは印刷代が安いのであって、それはこれからあなたが作ろうと思っている本作りの全体のほんの一部分であるという事なのだ。
 1冊〜10冊くらいあればよいという本作りの場合もある。この場合はオンデマンド印刷がおすすめである。ただご自分で本の体裁通りにパソコンなどで作る必要がある。そうしないと決して安くならない。全てのページを本の大きさの通りに作るのである。ページ数(ノンブル)も各ページに入れて、目次も作る、これは文字通りの手作りである。

                   
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2015年12月14日

美輪明宏は本物の予言者?の巻

以下の文章は、私が2007年11月25日に、あるダンス関連のサイトに書き残したものですが、昨日、久しぶりに読み返していたら思わず、あっと息を呑みこんでしまったのでした。

◆長崎の地元の人にとって繁華街といえば、浜の町の事であります。そしてそこに昔からあるデパートといえば、浜屋と岡政ですが、その浜屋を右手に見ながら、アーケード街を抜けたところには、今でも思案橋という名のチンチン電車の停車場が残っています。

◆行こか戻ろか、戻ろか行こかここが思案のしどころバイと、諸行無常の性(サガ)をかこつ世のにぎにぎしくも多くの男衆が立ち止まったという、ここがあの花も恥じらう丸山遊郭への結界門、いや入口であったかと。

◆その生まれ故郷である長崎の丸山の名をいただいて、かつては丸山明宏、現在は美輪明宏をして、このスリラーのプロモーションビデオを見たあげくに、そのあまりのおどろおどろしさ、はたまた、えもいわれぬまでのエクスタシーのオーラに包まれたまごうかたなきゾンビの群の中心に向かって「この子は早死にするわよ」とのたまわしめたほどの傑出作品、今様に申せば、コワカッコイーといったところでございましょうか、その阿鼻叫喚、そは空前絶後のいでたちは筆舌つくしがたきたたずまい。これいかにそはいかにといった案配であったのでございました。

◆ 何の事だかさっぱり分からないと、幾分とまどいがちな皆様方には、是非お近くのお知り合いのダンサーに訊ねて頂きたい。もしもスリラーを知らないダンサーがいたらそれは間違いなくもぐりのダンサーですから。え?近くに知り合いのダンサーがいない。しからば遠くの知り合いのダンサーに訊ねるがよろしかろう!? 遠くにも知り合いのダンサーがいないとな。左様、現在ではダンサーはかつての隠れキリシタンのごとく希有な存在となっておるらしいからして…。

◆ そういえば長崎は隠れキリシタンの里でもあります。しかしマイケルジャクソンが隠れキリシタンという説はまったくありえない事であります。なぜならキリスト教では死者の復活、ゾンビが墓から這い出してくるなんて、エホバ神には断じてございませんからして。
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