2013年02月17日

本作りのマクガフィン

 本に限らないことだが創作の課程で有用なものとして、マクガフィンというのがある。あまり聴き慣れない言葉だが、創作活動においては欠かせないもののひとつだ。

 マクガフィンとは、例えば、ロード・オブ・ザ・リングという物語の全体を貫いているリング、インディ・ジョーンズにおける聖櫃(アーク)がマクガフィンなのだ。

 これらは物語を動かすためのアイテムであり推進力でもあるが、大事なことは、ヒッチコックがいうように、マクガフィンとは、物語の単なる入れ物であって、本質ではないということだ。だからそれが、ウラニウムの入ったワインのボトルが、ダイヤモンドの入ったそれにすり替わったところで一向にかまわないというこなのである。秘密のディスク、歩哨から奪った砦の地図、現場に残された黒革の手帳であっても同じこと。

 この場合大事なことは、例えば、映画・逃亡者のプロローグで主人公キンブルがなぜ追われているのかは本人にも分からないし、読者(観客)にも分からない、同時に追っている側の正体も分からなければ、追っている理由さえもが判然としないという構図になっているということである。そこで読者(観客)はそれらをひとつずつ知りたいと思うようになって遂にはその物語に導かれていって最後まで読んで(観て)しまうハメになるのである。

 これらの関係性は、それについては最初、主人公もまったく知らないらしい。同時に追っ手の連中も知らないままそれを取り返そうとしているらしい。それについて本当のことを知っているのは恐らく追っ手の背後にいる黒幕らしいという推測を働らかせてくれる。当然ながら読者(観客)には最初から知らされないという図式である。

 マクガフィンとは話のつかみであり、目に見えない推進力になりうるものであり、かつ煩わしい状況説明などをはしょるのに都合のいいアイテムなのでる。またこれがないと読者はすぐに飽きてしまうものであり、最後まで読んで(観て)くれない。

 出版したい本を読んでもらうためには、なにがしかのマクガフィン(サービス精神)がないと実に退屈なものになってしまうものなのだ。
タグ:自費出版
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2013年02月08日

年賀状歳時記の巻

 年賀状を出す風習はすでに江戸時代からあったようだけど、近年急速に広まったのは何故か。高度成長まっただなかの日本経済の歩みと無関係ではなかったようであります。
 隣近所との付き合いが希薄になる一方で、会社人間、もしくは社会人としての付き合いは、むしろ増えていった時代でした。日本人にとって、年賀状はおのれの人間関係維持・促進にはむしろ、かっこうのツールとして定着したのかもしれません。
 それに去年出したのに今年も出さないわけにはいかないよね、という気持ちが働いてしまうのは習慣性の罠、もしくは持続的人間関係の消極的自己表現であると、ネガティブに捉える人もいれば、いやもっとポジティブに楽しんで年賀状作りに励んでいる人もいるかと思いますが、最近は手書きのものが少なくなって形式的なものが増えて、どうしても、シブシブ作成感が感じられてしまうのは、私だけでしょうか?。

 ここで本の出版と年賀状の話。このふたつには深くて永い関係があるのです。初めて本を出版したら、自分の本が何冊売れるか、それは今年来た年賀状の数だけというのは本当の話。これはよっぽど顔が広くないと、いきなり本を出したからってそうそう買ってくれる人はいませんということなのです。世の中そんなに甘くない。とうのが実感なのです。はい。

 永い間に培われた人間関係の蓄積こそがものをいうのは普遍的な真理でもありますが。
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2013年02月04日

おじさんたちのたそがれ その1

 えーまず、おじさんたちは略語にたそがれます。

 いま流行りのAKBとは秋葉原何とかで、TPPとは環太平洋何とかかんとかで、といった具合にして実のところおじさんたちは、その全体像を正確には把握しておりません。
 正確に把握していなくとも何の問題も起こらない代わりに、すでにこれはある種の情熱の喪失、訓育の放棄、もしくは社会的無関心、無頓着とも言えるわけですね。

 その昔、すでに旧海軍で流行っていたという略語のMMK、これは、もててもてて困るの略だといわれてますけれど、むしろこれは、まったくもてないで困るの略ではなかったかと思われるわけですね。だって海軍でしょう。女っ気なしですから。まあ貯まってたわけですよね、いろいろなものが海の上の非常に隔離された内部的な空間においては。
 同時にKAでかみさんという略語もあったらしいのですが、一般的な会話のなかで、自分の奥さんのことを相手に向かってどう表現するかは、今日的課題でもあり、おじさんたちの共通の悩みでもあります。
 女房、妻、かみさん、家内、ウチのひと、ウチのが、とちょっとテレながら使うのでありますが、自分の所有物やペットでもないのにウチのが、はマズいような気もします。この場合、作家の五木寛之氏は配偶者、と使うそうでありますが、これは法律用語でもあり、ナマナマしくなくてよろしいですが、周りで使ってるのを聞いたことがないですね。

 話を戻しましょう。ただいまも世の中、略語のオンパレードです。
 NHK、NTT、ANA、JRといった社名関係から、ケンタだのマックだのといった食品類、ドラマでいえば、冬ソナにセカチュウ、もしドラにキンケイ(近代経済学)とあらゆる分野に及んでおります。デカンショ節が、デカルト、カント、ショーペンハウエルの略だとは、高校の時の担任に教わりましたが、それまでは、ツルハシでトッテンカン、トッテンカンと石炭の鉱脈をたたく音のことだとばかり思っていましたから。

 ここで、いまどき女子高生の略語使用頻度上位を紹介しましょう。
 DJK(ダイジョーブ)、dndk(どんだけー)、自宅警備員(ニート)、ハゲドウ(激しく同意)、かまちょ(かまって頂戴)、おこ(怒る)、シャレオツ(おしゃれ=古語ながら最近また復活したらしい)、DJB(だいじょーぶ)、dgskas(だがしかし)。
 本当なのかなあ、こんなの使ってるのかしらんと思いながら、dgskas、確かにケータイ(これも略語)メールで使ってそうではありますね。

 おじさんたちの時代は、GS(グループ・サウンド)で、タイガース・ワイルドワンズ・ジャガーズ・フォーククルセダーズ・パープルシャドーズ・ランチャーズ・テンプターズ・ゴールデンカップスに、舶来(古語?)ものではPPM(ピーター・ポール&マリー)の500マイルにベンチャーズのパイプラインなどであり、ブルコメのツナキとか、タイガースのジュリー、スパイダースのマチャアキ(たぶん同世代でないと知らないと思いますが)、あと失神する赤松愛の何とかというバンド、それから、想い出の渚のワイルドワンズのチャッピーのいつも背後にいた人、名前は忘れたけどリーダーの加瀬ナントカカントカ、などですが、どうなんでしょうか。みなさん。

 最近、タイガースが40年ぶりに復活して、38カ所の全国ツアーを予定とか。ピーもタローもサリーもまだまだ健在であります。2012年1月の武道館でのファイナル完遂達成! おじさんたちは負けないのであります。DJB!
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