2016年03月11日

手作り本ということ

 一般の消費者は、どんなものでも手作りの方がいいものだと思っている所がある。
 本作りにおいてはどうだろうか。本の中身、つまりその作品そのものは人間の脳細胞を使って想像力を働かせて生み出されるまぎれもなく手作りの世界である。その内容はともかく、人間の成せる行為における最高の手作りといえなくもない。
 ここで中身は別にして、完成した原稿を版下にして印刷機にかけたあとの本が出来るまでのハードの部分は手作りかといえば、今ではほとんどがそうではない。
 近年の印刷技術の進歩は凄まじい。オンデマンド印刷という方法を使えばパソコンのデータからいきなり製本された本になって出てくる。これは実際に見るとスゴイ!。この方法の欠点をあげるとすれば、ソフトカバーしかできない事ぐらいか(ハードカバーは従来通りの別行程仕上げとなる)。
 オンデマンド印刷とはパソコンのプリンターからのプリントだと思っていただければ間違いない。だから一冊からでも作れてしまうのである。ただしプリントしたものを、どうしてもハードカバーにしたい場合には丁合、製本などの関係から角背しかできない。一般的なハードカバーの丸背ができないのである。これはオンデマンド印刷のプリントがオフセット印刷のように面付けしてから印刷し、折り単位の製本方法ではなくペラ丁合からの製本になってしまうからである。この辺はちょっと専門的になるので、もし詳しく知りたい方がおられたらお問い合わせください。
 いずれにしても、このようにオンデマンド印刷でも微妙にできなかったりできたりするところがあって、オンデマンド印刷でやればどんな本でも作れるとも限らない。それに選べる用紙も限られている。
 100部以上で160ページ以上の場合はオフセット印刷の方がおすすめだ。
 手作りという場合、現在の本作りにおいてはハードカバーの製本作業にのみ当てはまる作業かもしれない、この部分はいまだに職人技の世界だ(但し部数が多い場合は専用の機械で自動処理している)。
 ただいえることは、文字を入力したり、校正したり、レイアウトを考えたり、色を決めたりするのは機械にはできない事である。この本作りの前行程の部分はこれからも手作りとなるだろう。そしてそこのところが本作りでもっとも重要な部分であるともいえる。
 出来上がった本に誤植があったり、全体のレイアウトがつまらなかったりすればいくら印刷代が安くても台無しになってしまう。だから少なくとも、定価を付けて売りたいと思っている場合は、編集ができる所を選ばないとクオリティの高い本を作る事はできない。いずれにしてもよく考えてから依頼する業者を選ばなければならない。
 オンデマンド印刷とは印刷代が安いのであって、それはこれからあなたが作ろうと思っている本作りの全体のほんの一部分であるという事なのだ。
 1冊〜10冊くらいあればよいという本作りの場合もある。この場合はオンデマンド印刷がおすすめである。ただご自分で本の体裁通りにパソコンなどで作る必要がある。そうしないと決して安くならない。全てのページを本の大きさの通りに作るのである。ページ数(ノンブル)も各ページに入れて、目次も作る、これは文字通りの手作りである。

                   
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2015年12月14日

美輪明宏は本物の予言者?の巻

以下の文章は、私が2007年11月25日に、あるダンス関連のサイトに書き残したものですが、昨日、久しぶりに読み返していたら思わず、あっと息を呑みこんでしまったのでした。

◆長崎の地元の人にとって繁華街といえば、浜の町の事であります。そしてそこに昔からあるデパートといえば、浜屋と岡政ですが、その浜屋を右手に見ながら、アーケード街を抜けたところには、今でも思案橋という名のチンチン電車の停車場が残っています。

◆行こか戻ろか、戻ろか行こかここが思案のしどころバイと、諸行無常の性(サガ)をかこつ世のにぎにぎしくも多くの男衆が立ち止まったという、ここがあの花も恥じらう丸山遊郭への結界門、いや入口であったかと。

◆その生まれ故郷である長崎の丸山の名をいただいて、かつては丸山明宏、現在は美輪明宏をして、このスリラーのプロモーションビデオを見たあげくに、そのあまりのおどろおどろしさ、はたまた、えもいわれぬまでのエクスタシーのオーラに包まれたまごうかたなきゾンビの群の中心に向かって「この子は早死にするわよ」とのたまわしめたほどの傑出作品、今様に申せば、コワカッコイーといったところでございましょうか、その阿鼻叫喚、そは空前絶後のいでたちは筆舌つくしがたきたたずまい。これいかにそはいかにといった案配であったのでございました。

◆ 何の事だかさっぱり分からないと、幾分とまどいがちな皆様方には、是非お近くのお知り合いのダンサーに訊ねて頂きたい。もしもスリラーを知らないダンサーがいたらそれは間違いなくもぐりのダンサーですから。え?近くに知り合いのダンサーがいない。しからば遠くの知り合いのダンサーに訊ねるがよろしかろう!? 遠くにも知り合いのダンサーがいないとな。左様、現在ではダンサーはかつての隠れキリシタンのごとく希有な存在となっておるらしいからして…。

◆ そういえば長崎は隠れキリシタンの里でもあります。しかしマイケルジャクソンが隠れキリシタンという説はまったくありえない事であります。なぜならキリスト教では死者の復活、ゾンビが墓から這い出してくるなんて、エホバ神には断じてございませんからして。
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2015年09月17日

豊かな人生セミナーのお話

 先日、ある中高年者向けのセミナーに行ってきた。豊かな人生設計をするための講座であるという。金曜の夜7時〜9時まで。このようなセミナーはあちこちで開かれていて、大体無料で受けられる。ファイナンシャルプランナー、社労士、介護士になるためのハウツーものセミナーだとか、結構ためになりそうなものも多い。
 講師の先生の話がとても面白い。先生は60歳を過ぎていて、まさか自分がこのようなセミナーの講師になって皆さんの前でこうして話しているなんてのは、5年前の自分からは想像もできなかった事だとおっしゃる。そして人生は60歳を起点に大きく変わるというのだ。
 例えば、今までの20歳から60歳までに働いて来た時間とこれから60歳から80歳まで生きたとして費やす自由な時間とを考えると面白い事が分かって来るという。どういう事かというと、20歳から60歳までの40年間に1日8時間働いた時間とこれから60歳から80歳までに1日に自由に過ごす時間を1日16時間とすると、今まで働いて来た40年間と同じボリュームの自由な時間をこれから過ごす事になるのであるという。(働いているときには休日もあるので、60歳からの20年間の自由な時間の方が長い)40年間も働いて、長いなーと思っていた時間と同じ時間を、これから何とかやりくりして過ごさねばならないという事になるのだ。それは毎日が日曜日な時間である。しかしこれは途方もなく大変な時間であり、同時に大変な事態である。毎日寝たり、ご飯を食べたりする時間を多少差し引いたとしても正味16時間もの時間をただテレビを見たりして過ごしていたら、すぐに飽きてしまって嫌になってしまうのは明白である。大変である。健康で長寿という状況もなかなか単純なものではなさそうだなと想像できる。
 そんな事に思い至ると、何かこれからは生涯をかけて取り組むものが必要になってくるのではないか、そんな時、人はどうも、もの書きに目覚めたりするものらしい。
posted by fujibooks.com at 09:30| Comment(0) | プラチナ通りの貸本屋